【内向型×過干渉】私にはやりたい仕事が何もなかった

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私は小さい頃から夢がありませんでした。
やりたい仕事も思い浮かばず、ただ家の中でゴロゴロしている時間が幸せでした。
少し手先は器用で、細かい作業に夢中になることができ、
その時間が大好きでした。
そうして大人しく過ごしていれば、
誰にも何も言われなかったのです。

親に言われるままの学校に進学し、
親の力で就職しました。そういう環境だったため、
自我を持つ必要もなく、家族の影響が強い中で生きていました。
逆らうことができない私の気質もあり、
いつの間にか親の顔色をうかがうことが習慣になり、
良い子を演じ続けるようになっていました。

この呪縛から解き放たれたのは、
人生のずっと後半になってからでした。
家族間で衝突する出来事があり、私は初めて、
今まで親の言いなりになってきたことを両親に伝えました。
しかし、親から「そんなことは頼んでいない」と言い返され、
自分の思い込みだったのかと驚きました。
それ以来、世のため人のためになることに興味がなくなり、
自分自身もその対象から外れてしまいました。

それでも、お金を貯める習慣だけは自然と身についていました。どんな時もお金を増やすことには関心がありました。主婦として家事をこなしながら、お金の勉強を続けました。地方銀行ではお金が増えないと分かると、インターネット銀行を活用し、お金を増やす工夫を始めました。労働には一切気持ちが向かなかったため、持っているお金を増やすことに人一倍努力しました。

30代になると、夫と海外旅行に行くようになりました。旅は楽しく、自分の住む場所ではない場所での非日常的な時間に刺激を感じました。もっと旅をしたいと思い、資金や時間を確保するために倹約生活を習慣化しました。旅をしながらお金を増やす方法を探し、たどり着いたのが投資とブログでした。資産を活用して収益を得る方法に興味を持つようになったのです。

親が期待する「学校を卒業し、良い企業に就職し、結婚して子供を育て、家を建てる」という昭和の一般的なライフパターンにはなじめませんでした。周囲の人々がその生き方をしている中、自分はどこかおかしいのではないかと自己否定をしていました。しかし、旅を通じて自分と同じような価値観を持つ人々に出会い、そんな生き方もあるのだと気づきました。

「親は親、私は私。」

皆と同じである必要はないと気づいたとき、自分の感性が解放され、湧き上がってくるのを感じました。誰のためでもなく、自分のために生きるという感覚が芽生えました。行きたい場所に行き、時間にも人にも束縛されない生き方を目指したいと思うようになりました。人生の時間は自分のやりたいことを実現するためにあるので、お金のために労働で消耗するのは無駄だと考えるようになりました。そこで、お金はお金に働かせ、自分は好きなことに集中するために投資を始めました。

夢がなかったのは、いつの間にか自分の好奇心を閉じ込めてしまっていたからでした。言われるままに生きるうちに、何かをしたいという意欲すら薄れていたのです。人生に目標がないことを負い目に感じていましたが、それは「目標達成型」の生き方が正しいと教えられていたからでした。しかし、私は「天命追求型」だったのです。

迷い続けた末に、私は投資という手段にたどり着きました。資本に余裕があれば、好きなことに時間を使えます。そうした能力を持っていたことに気づき、実際に実現できました。

これからは、ハッピーな未来しか想像できません。たくさんの冒険をしながら、心地よくワクワクしながら生きていきたいです。気づくまで長い時間がかかりましたが、不安は解消され、今では「結果オーライ」と思えます。

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