スピリチュアルの新しい気づき

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私はこれまで、スピリチュアルという言葉に対してどこか胡散臭さや過激さを感じていました。お金のにおいがしたり、否定的な言葉が多かったりして、正直好きになれませんでした。でも最近になって、スピリチュアルの捉え方が変わり、心地よく腑に落ちる感覚に気づきました。今思えば、それは自分自身の感覚が育ってきたからこそ感じられたことだと思います。

世の中の混沌と自分の軸

政治や経済が不安定になり、人の心もざわつく今の時代。目に見えないダークな渦が渦巻いているように感じることもあります。そんな中で私は「信じられるのは自分だけだ」と強く実感しました。社会や年金制度も信用できない部分が多く、形式的な制度に頼るだけでは安心できません。社会は便利な面もあるけれど、肝心なところはぽっかり穴が空いている。その中でどう生きていくか、自分軸がますます大事になってきているのです。

心・体・そして氣の巡り

私が感じているのは、ただの心や体だけでなく、「氣」の巡りこそが命の根本だということです。氣の流れが滞ると心も体も不調になり、逆に氣がスムーズに流れていると、安心感や穏やかさが自然に湧いてきます。氣の巡りは目に見えませんが、日々の生活の中でビーズ制作や自然とのふれあいを通して、静かに感じ取ることができるものだと実感しています。

氣の巡りとお金の関係に感じる違和感

しかし、「氣」と「お金」を結びつけすぎるスピリチュアルは、どうしても胡散臭く感じてしまいます。氣とお金はどちらも「流れ」ですが、そこに「操作」や「依存」の意図が入ると、一気に重くなり、自然な感覚が失われてしまいます。私が好きなのは、氣が整い誠実に循環することで、必要なお金も自然に巡ってくるという静かで地に足のついた関係です。その感覚がわかるからこそ、過剰なスピリチュアル商法には抵抗を感じてしまうのです。

人となりでわかる本物と偽物

スピリチュアルや豊かさの話で大切なのは、その人の「人となり」です。どんなに素晴らしいことを言っていても、圧やマウントを感じたり、自己顕示欲が強すぎたりすると、途端に違和感を覚えます。私はそういう表面的な言葉やパフォーマンスに流されず、本質を見抜く感覚を持っていることを誇りに思います。逆に、人となりが自然で押しつけがましくない人の言葉は、心にすっと入ってくるものです。

静かな豊かさのイメージ

また、お金持ちのイメージについても、私の中では「人前に出て派手に見せる人」ではありません。むしろ、本当に豊かな人は静かに自分の世界を大切にしていて、目立とうとはしないものだと思っています。これは私の経験や感覚によるイメージですが、その感覚があるからこそ、見せかけの豊かさには違和感を覚えます。だからこそ、静かで誠実な豊かさを追い求めたいと感じています。

「ドン・シンク、フィール」の大切さ

最近、私はあらゆる事象の中にスピリチュアルなメッセージが存在していることに気づきました。それは目に見えないし、聞こえもしないけれど、確かに感じ取れるものです。理屈で考えすぎずに、「ドン・シンク、フィール(考えすぎずに感じる)」ことが、本当に大切だと思います。そうやって感覚を開くことで、日常の中にある見えないサインに気づきやすくなり、自分の生きる道が自然と見えてくるのです。

これからも自分の感覚を大切に

私はこれからも、自分の感覚を大切にしながら、静かに氣を巡らせていきたいと思います。スピリチュアルという言葉に対して抱いていた抵抗感も、自分なりに解釈し直すことで、少しずつ心地よいものになってきました。流されずに、自分の中の真実と向き合いながら、自分らしく生きていくことを大切にしたいと思います。

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