【他責する日本人】日本の居心地の悪さと問題点

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■どうして、日本は他責してばかりなのか

近頃よく耳にする言葉に「他責文化」と「主体性の欠如」というものがあります。

どうして、日本は他責してばかりなのでしょうか。
子どもも大人も、自分自身の問題なのに「政治が悪い」「行政が悪い」と批判して安心してしまいます。

赤ちゃんは元々主体性を持って生まれてきます。
よちよち歩きたいという気持ちも、自分で言葉を覚えていくという主体的な成長も最初から備えているものです。
しかし、おかしな教育というべきか、周りから干渉してあれこれ世話を焼くうちに、元にあった主体性が失われていってしまいます。

主体性というものは後から身に付くものというよりも、そもそも最初から備わっているものです。
それなのに、大人が「教えてあげよう」と干渉して、自分で考えて行動して学ぶ機会を奪ってしまう。
結果、無意識のうちに自分自身の足で歩くという主体性が育たないという問題に繋がってしまっているのです。


■主体性は元から備わっているものです

赤ちゃんは、自分で寝返りをうち、自分の足で歩くようになります。
主体性というものは元から備わっており、自分自身で成長していくものです。
しかし、日本の教育の中に身を置くうちに、この主体性が失われていきます。
宿題も「言われたらする」となり、自分から学ぶという視点も「他者に委ねるように」変わっていってしまいます。


■朝、子どもを起こすという干渉

朝、子どもを母親が起こしてあげるという文化も主体性を奪う理由の一つです。
子どもが、自分自身で「起きたい」と感じ、行動してこそ主体性も身に付きます。
大人が世話を焼くことで、「言われないと動かない」という依存体質にしてしまいます。
結果、自分自身の人生に責任を持つという視点も失われていくという悪循環に陥っているというわけです。


■干渉する大人に対して子どもも反発してしまいます

世話を焼く大人に対して、子どもも「干渉してくる」と感じ、次第に「ウザい」と拒否していくという問題もあります。
干渉により主体性を摘み取っておきながら、「どうして主体性がないの」と子どもに言うという矛盾。
子どもも安心してチャレンジしたり、自分自身の足で歩くという機会を奪われてしまいます。


■他責文化から主体性文化に変えていくという視点

大人も子どもも、自分自身に責任を持って行動してこそ、自律して生きる力も身に付きます。
他責にする文化から主体性文化に転換していくという視点こそ、日本が再び活気に満ちた社会に帰ってこられるポイントです。
批判して安心しているだけでは何も変わりません。
主体的に問題に向き合うという文化に変えていく必要があります。


■主体性こそ、日本再生のキーワードです

主体性とは、自分の人生に責任を持つという覚悟です。
他者に依存して安心してはいられない時代にこそ、自分自身で考えて行動していくという主体性が求められます。
子どもも大人も、自分の足で歩くという視点に立って、自律して生きるという文化に転換していくべきです。
主体性こそ、日本再生のキーワードではないでしょうか


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